ふるさとの家から
ルカ・ホルスティンク
談話室
マーコ
野宿者の糧風前
朝日新聞
相談室
トリヤマタロウ(マエダ)
労働者の手
堀部敬子
2階・ともの広場
堤 年弘
ふるさとの家と反失連
本田哲郎
JYVA1年間ボランティア
永野 努
事務所より
ふるさとの家で必要なもの
ホームページへ

「ふるさとだより」2004年12月

直線上に配置

2階・ともの広場         堤 年弘


 「釜ヶ崎」にも冬がやって来ました。街には野宿を余儀なくされ、重ね着で寒さを凌いでいる人が多くみられます。高齢化や栄養不足の関係などもあってか、この街は世界最悪の結核罹患地帯と言われてきました。しかし、11月24日の毎日新聞に「98年の10万人に1923.3人をピークとして、この5年間で患者は半減した。半減に成功したのは、患者が服薬できるよう見守る治療法(ドッツ)を、地域内にある医療センターの2人の看護士などが、根気よく進めたからだ」と紹介しています。しかし、それでもこの地域が今も大阪市の罹患率を押し上げ、政令都市の中でワースト2位の名古屋市の約2倍で、最悪の状態は続いているとも書かれていました。このトップ記事をみて、今までも「釜ヶ崎」にあまり関心のなかった人は、こんな街は不安だから近寄らない方がよいと改めて思ったかもしれません。

 釜ヶ崎は今は失業者の街と化してしまっているように見えますが、この街に住み、ここに関わっている人たちは従来のように、活気に溢れ、働く者の集まる場であって欲しいと願っているのです。勿論、現実に、痩せ気味の人や異常に咳き込んでいる人を見かけることも多く、医療センターに行くよう強く勧めなければなりません。ただ、医療関係者の中には、接する態度が悪い人もいて、そのためもあってか通院を敬遠しがちになったり、入院治療中にもかかわらず勝手に退院してしまうケースがあったりするのは問題です。

 冬場の「ふるさとの家」は暖を求めて、ともの広場も人で溢れています。2階は年齢制限がないので、比較的若い人が多く、友人と語り合ったりテレビを見たりと、のんびり半日を過ごしておられます。テレビで人気があるのは、藤田まことの純情刑事ものです。最後の場面あたりになると、瞼をうるませながら見ている人があっちこっちに見かけられます。ここに集う多くの人びとは、人情刑事の言葉にぐっと来るものがあるのでしょう。

 Kさんは45歳。18時終了後、最近よく掃除を手伝ってくれる人なつっこく気さくな人です。40代と言えば働き盛りの年齢ですが、常時働き口がある訳でなく、時折工事現場のガードマン、町中でのプラカードマンなど7000円位の安い日当で働いています。宿泊は安いドヤ(500円か、テレビつきの700円)であったり、炊き出しを手伝っているプロテスタントの教会に泊めてもらったりしているようです。彼は聖書を深く読んだりはしていないと言っていますが、洗礼を受け、2つの教会へ毎週3日は礼拝や聖書研究会に参加しているそうです。

 この街には、仕事さえあればとの思いをもち、毎日を真面目に生きている人が沢山すんでいます。高齢化、身体の損傷などやまいを抱えて働ける場合は本来、生活を保障されるべきです。しかしその対象から外されてしまった人たちが年々増えつづけています。もっとも弱く、小さくさせられた人に目を向け、支えようとしている人びとにとって、この街でのスローガンは「一人の行路死も出さないで春を迎えよう」です。