ふるさとの家から
ルカ・ホルスティンク
談話室
マーコ
野宿者の糧風前
朝日新聞
相談室
トリヤマタロウ(マエダ)
労働者の手
堀部敬子
2階・ともの広場
堤 年弘
ふるさとの家と反失連
本田哲郎
JYVA1年間ボランティア
永野 努
事務所より
ふるさとの家で必要なもの
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「ふるさとだより」2004年12月

直線上に配置

談話室  マーコ


 段々と寒くなり利用者の方々の服装も冬支度になってきました。野宿を強いられている人は直に寒さによる命の危険にさらされ、そして春になると少しはほっとできる時期になります。しかし今度の春は違う意味で厳しいものになりそうです。日雇いの仕事がない中で、期待している55才以上の特別清掃(特掃)の仕事が大幅に減るかもしれません。現状は本田さんが書いてくれています。

 この特掃の仕事は野宿を強いられながらも座り込みや行政交渉、野営闘争などを繰り返し頑張ってやってきた人達が勝ちとったものです。ふるさとの家も閉めて、みんなで参加してきました。

 「仕事を」「寝場所を」など行政と交渉していましたが、大阪府は「寝場所問題は市へ」市は「労問題は府へ」とたらいまわしの状態。その行政を相手に94年2月と6月には役所前で野営闘争をし、同じく6月には府の出先機関である西成労働福祉センターでも座り込みを行いました。労働福祉センターの職員も力を合わせてくれ、梅雨期と越冬期は労働福祉センターで寝泊りできるようになりました。(のちの三角公園シェルター)このような粘り強い運動を経てようやく行政が重い腰を上げ、特掃が始まりました。最初は一日50人枠からでした。その後、大阪府・市も評価をし、国の基金も使われ、すこしずつですが人数が増えて、やっと一人の人が月2〜3回仕事にいけるようになりました。

 地域内の清掃、保育園の遊具のペンキ塗り、地域外ではバス停周辺の掃除や草刈などの仕事も好評で、商店街の溝の隅まで掃除する姿に感謝されています。なにより自分たちの働きにより「野宿者はなまけもの」と言う偏見をかえるというすごい啓発活動にもなっています。仕事が終わってからお茶を汲みにくる時の表情もひと味ちがいます。

 「箱物行政(建物にお金をだす)、施設収容主義」と言われて来た行政も少なからず株を上げ、ホームレス自立支援法ができるまでになりましたが、何故状況が悪くなるでしょうか?当事者に一番評価をされているものが減らされ、箱物(自立支援センターやシェルター)にはお金を出す。一昔前に戻りつつあるこの状況に「野宿を強いられる人がいなくなればふるさとの家の使命も終わる時が来る。」という私達の思いも遠のいて行くのでしょうか。そうならない為に願うばかりでなく共に行動して行きたいと思います。