ふるさとの家から
ルカ・ホルスティンク
談話室
マーコ
野宿者の糧風前
朝日新聞
相談室
トリヤマタロウ(マエダ)
労働者の手
堀部敬子
2階・ともの広場
堤 年弘
ふるさとの家と反失連
本田哲郎
JYVA1年間ボランティア
永野 努
事務所より
ふるさとの家で必要なもの
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「ふるさとだより」2004年12月

直線上に配置

労働者の手   堀部敬子


 ふるさとの家で出会うおじさん達の手足を見て、いつも感じていることがあります。体の大小にかかわらず、一応にたくましく分厚く指が太いのです。中には、親指しか残されていない手。長年の力仕事で拘縮が生じ変形している手。手の甲の肉がえぐられ移植した肉が盛り上がっている手。ひどいケガの後遺症で治療が十分でないまま年月がたちゆがんでしまっている手足に出会います。饒舌に自分の仕事のこと、心残りな事、そして体に残された傷のこと、話してくれる人もいれば、多くを語らず、こちらが息をのんでしまう状態の人もいます。

 今年、東京タワーに行く機会がありました。夜景の手前に、昇っても昇っても限りなく続く、鉄骨と足場、無数のボルトが目に飛び込んできました。一体何人の人の手が、このボルトをしめ、足場を走り抜け、この巨大な建造物が立ち上ったのだろう。いまさらながら、それらのボルトと鉄骨がおじさん達の手足とやっと繋がった気がしました。炭坑の閉山や田舎から出稼ぎに来た人、万博の時に大阪に出てきた人が高速道路、トンネル、梅田に建ち並ぶビル群、私がいつも利用している泉北鉄道を建設したこともあらためて感じました。今の世の中の流れから、もうそれは過ぎ去った過去の出来事と忘れ去られてしまっている事かもしれませんが、一人一人の体にしっかり刻まれ、その上老いも重なり痛々しいかぎりですが、そんな状況の中でも、何かをやりとげた自信は静かに伝わってきます。