ふるさとの家から
Fr.ハインリッヒ
談話室
マーコ
相談室
マエダ
2階・ともの広場
堤年弘
反失連は野営闘争中!
本田哲郎

ボランティア 川口 ボランティア 青木 ケアステーション 事務室より
藤井
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「ふるさとだより」2003年12月

直線上に配置

談話室     マーコ


また寒い冬が目前です。ふるさとの家の利用者も多くなってきました。ホームレス自立支援法ができても、利用者が減ることがありません。支援法に一番期待していた「就労」が盛り込まれず、生活保護の適正実施や、自立支緩センター、シェルターのみで、基本的な解決に結び付かないからです。
先日、世聞を騒がせた「朝日建設」の事件。本来、労働者に「タコ部屋飯場」と言われ、敬遠されるはずの所に"なんとか食いつなぐ"ぎりぎりの状態の現役の労働者が行き、賃金は貰えず、挙句の果てに殺されてしまう痛ましいことでした。行政にも散々苦情が相次いでいたにもかかわらず、「放置」され続けていたのです。
また日々、ダンボールや空き缶、廃品回収をしてなんとか生きている仲間が沢山います。過酷な仕事の引き換えに得られるのは少しのお金で、とても野宿からは抜け出せません。しかし、「白分で飯を食う」だけでも必死で維持しています。また最近では民間会社によりホームレス専売の雑誌が創刊され期待が寄せられています。
今回はふるさとの家を通し自力で何とか頑張り生活し続けてきた人を紹介します。
Aさんは8年前談話室に来ており、その時すでに65才でしたが、人当たりと面倒見がよさに障害を持つ人の介護の仕事を紹介しました。その給料で畳1帖の部屋に住み、盆も正月も休むことなくこの4月まで働いてきました。いよいよ5月に仕事がなくなり生活保護を申請ため、今まで話さなかった過去を聞くことになりました。「若い時に突然家を飛び出し、ずっと建築関係の仕事をしてきた。家出以来一回も連絡をしていない。お父さんやお母さんに心配をかけたし兄などにも会す顔がない。今居場所がわかると、迷惑がかかるかなあ。」名前は本名ですかと尋ねると,「いや、本名は小さいときから馬鹿にされてきたから、変えた。それだけや。他には何もない。」と純枠に郷里の家族への申し訳なさを72才の今日までずっと心にとめて生きてきたのです。
Bさんは5年ほど前に談話室に来ていました。積極的になんでもやってくれるので、3年半前、近くの作業所のバザーの手伝いに紹介しました。人柄の良さにいろんな仕事に呼ばれ、なんとかドヤ(簡易宿泊所)で生活をしていました。体調も時折出る痛風以外は「別に悪いところはない」と言っていました。10月下旬風邪を引き31日の朝バザーの最中に脳梗塞で倒れそのまま亡くなりました。あっけなさにびっくりしている所に「身元がわからない」ということで、警察預かりになりました。未だに身元はわかっていませんが11月21日、作業所の方々が手配や準傭して下さり、仲間のいるふるさとの家で葬犠をすることができました。
人には過去や事情がどうであれ話したくないことは話さなくていい権利があります。心を開いてくれない、と寂しく感じたり何か他人に言えない事情があるのではと、勘繰ったり、 生活保護を受けるときなども、「仕方なく話している」ことを忘れ、「話してくれて当たり前」と感じるようになっています。必死に生きているその人の「今」に日をむけ、もっと大事にしたいとおもいます。