痛みの視点に立ちなおす

(協友会通信68より)本田哲郎 直線上に配置

元祖ワーキング・プア
 今、ワーキング・プア、「働く貧困層」の問題が注目されています。
 昨年来、「生きさせろ」と若者たちが集会やヂモ、メディアなどを通じて訴え、社会問題として浮かび上がってきました。フリ一ター、アルバイト、派遣労働の人たちにとって、まさに死活問題です。
 必要なときだけ雇い、必要がなくなったら切る。雇われる側は、働いても働いても低収入で、生活を維持できない。「不安定」(プレカリオ)を常態化する就労形態が、世の中でまかり通っています。
 このような不安定就労の仕組みは、釜ケ崎や山谷、寿町や笹島の呼び名で知られる、建設・土木の日雇い労働者の寄せ場で、「特例」として、すなわち労働基準法の「規制緩和」として、40年も前から行われているものでした。それがいまや特定の地域と職種をこえて、全国に波及しているわけです。日本中が寄せ場化しているということです。寄せ場の日雇い労働者は、まさに元祖ワーキング・プア。

弱者切捨ての国、府、市
 景気対策として政府が打ち出した「規制緩和」は、大手企業や目端がきく事業者のやりたい放題を生み出し、若者たちや「ひとり親家族」(いわゆる母子、父子家庭)、単身労働者が食い物にされています。
銀行までがサラ金。街金化して、貧しい者を借金地獄にさそっています。
 国とか都道府県、市町村という行政体に存立理由があるとすれば、それは、自然に委せれば起こりがちな弱肉強食のやりたい放層を規制し、公共善(Bonum Commune)の立場から「勝ち組」「負け組」の格差をなくして、一人ひとりが安定して暮らしていけるようにもっていくことです。税金も、住民同士の善意や努力では手の届かないところを、公の制度と実行力でカバーするようにと、みんなが出し合っているものです。
 自由な競争が社会に活気をもたらすということは事実です。しかし、競争に加わる自由(生活基盤)を奪われてしまっている人たちがいます。この人たちを切り捨てるのであれば、規制緩和も民営化も、行政の責任放棄でしかありません。  橋下徹大阪府知事は、「赤字会社の管財人」を超える使命があるはずです。採算を度外してもやるべきことはやるのが、公の責務です。  釜ヶ埼では、大阪市が、就職活動に不可欠な労働者の住民票を抹消しています。常織では考えられないような弱者切捨てです。平松邦夫大阪市長はただちに正当な救済措置をこうじるべきです。

真のセーフティネットのニーズ
 釜ヶ崎では問題解決の手立てとして、二つのことに取り組んできました。仕事作り(公的・社会的就労)と生活保護法の正当な適用です。この二つがセットでセーフティネットです。
 「働ける間は働きたい」といいつつ、肝心の仕事に手が届かないまま、野宿で消耗していく人が少なくありません。運動の一環としてその人たちを説得して生活保護につなぐことができても、必ずしも不安定から脱出したことにはなりません。なんとか自分で生きようとしている人たちに、手の届く就労の機会と場を提供する施策が、仕組みとしてぜったいに必要です。
 それと合わせて大事なことは、労働者同士のより信頼にみちた人間関係が築かれ、支えられることです。気軽に集える場作りは有意義です。さまざまな団体がそれぞれに工夫して努力しています。その上でなお、多くの労働者が、「仕事の現場でいっしょだった」ということで、相手を認め合っていることを忘れてはならないでしょう。

痛みの部分から問い直す
 「百人に一人でいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます。かぎりなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです・・・」
 これは教育課程審議会の元会長(有名クリスチャン)の現役時の発言だそうです。人権も人としての尊厳もふみにじむ、このような格差推進の発想が社会に蔓延しつつあるのかもしれません。痛みを知る人たちの目から見て、何が正しく、何が間違いかを知る、福音の視点にあらためて立ちなおし判断をしなおすことが、今、求められています。(ふるさとの家)