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「ふるさとだより」2006年6月

直線上に配置

2階・ともの広場        ツツミ トシヒロ


 暦の上でも夏に入り、日中の温度は日増しに上がり夏本番を迎えようとしています。それにしても、つい先日まで朝夕は薄ら寒く、このところ毎年だった暖冬が一転し、今年は長く厳しい冬でしたので、ここ「釜ヶ崎」で、野宿を余儀なくされた人たちにとっては、やっとの思いでこの時季を乗り越えられたのではないでしょうか。統計上では釜ヶ崎を中心に野宿を余儀なくされている人の数は、減りつつあると言われていますが、この冬の「ふるさとの家」は日頃見かけない新しい利用者を含め、例年通り満席。立ったままで暖をとっている人もいました。

 少し遡って、クリスマスの時期のことに触れますと、年末は例年通り皆様からの心温まる品々や支援金が多く届きました。普段よりたくさんの物が配られ、豊かな気分でひとときを過ごせる「おじさん」たちの顔はほころんでいました。広島女学院の生徒さんからは、クリスマスカードも届きました。『寒くなってきましたが、お体を大切にされ、お元気にして生きてください』。このカードを受け取った方が泣きながら私に見せ、「これからしっかり仕事を探し、一生懸命働くぞ」と絞り出すような声で言いました。その人は日頃怠けて職に就かなかった訳ではなく、中年過ぎの男性には仕事が殆ど回って来ないのです。しかし、一見何げないクリスマスカード一枚ですが、純粋な若い人からの励ましを受けたと感じ、新たな意欲が沸き出したのでしょうか。ともかくこれをきっかけに、困難でも今までより積極的に仕事探しをしようと決意されたのです。広島女学院のAさん、遅ればせながら、この方に代わってお礼を言いたいと思います。

 今年に入って、ネクタイこそしめていませんが黒いスーツに帽子を被り、正装した方が時折二階に来られ、落ち着かない様子で席を代わったりしているのを見かけました。三月に入り、Kさんと名乗られ、「ふるさとの家を電話の連絡先にして、私に取り次いでもらえますか」と小声で尋ねられました。故郷に百歳にならんとする母親がいて「心配なものですから」と寂しそうに話されました。その後Kさんとは取り留めのない会話をするようになりましたが、最近は顔を会わせていません。

 野宿を余儀なくされている人にとって、疎遠になっている近親者に、今は会いづらい状況にあるだけに、会いたいという想いは一層強いことでしょう。私は20年近くこの街に関わって来たといっても、僅かな時間を過ごすにすぎませんから、想いのほんの一端に触れているだけです。

 最近、私の体調が良くないのを、なじみの利用者に見抜かれて、「からだに気いつけや」と逆に慰められました。この街には、しんどい毎日を過ごしている状況にあっても、互いに励まし合って生きている人たちを多く見かけます。生活環境の変わった「釜ヶ崎」が昔とは違うとよく言われますが、人情味のある人間の街の側面は今も残っているように思います。