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「ふるさとだより」2006年6月

直線上に配置

談話室から           マーコ


 この春は寒かったり暑かったり、雨ばっかりと異常気象。「もうぬくなったから(暖かく)昨日、毛布を減らしたら、今日はさっむいわー、カイロちょうだい。」と野宿を強いられている利用者も大変でした。

 今年1月に大阪市による大阪城公園・靱公園の行政代執行を報道などで目にした方も多いと思います。野宿者19名を公園から追い出すのに1300万円を使う大阪市。額もさることながら、たった19人ときちんと話し合えない大阪市の野宿者対策はどこに向かうのか?と思っていた矢先、大阪市のあちこちの公園で野宿者の追い出しがはじまりました。大阪市が勧める「自立支援センター」の定員も野宿者数の1割にも満たないのにあたかもそれで解決できるように宣伝しています。報道では自立支援センターやシェルターがあるのに何で入らないのか、贅沢だという論調が目立ちました。

 15年以上前から、夜まわりで「今日初めて野宿する」のだろうと思われる方に何度か出会ってきました。沈痛な面持ちで路上に横になることも出来ず、座り込んで頭を抱えている姿にです。こちらもせいぜい毛布を渡すことしか出来ず、気軽に話が出来る状況ではありません。明日は仕事が見つかるか、これからどうしようかなど、今まで経験したことのない状況に打ちひしがれているのだろうと想像します。その後、仕事が見つかる方もいるでしょうが、だいたいそこから野宿生活が始まります。炊き出し、寝られる場所、お金を得る方法(アルミ缶・ダンボール集めなど)を情報収集して、何とか生きていく方法を模索していきます。野宿生活に慣れるまでは何ヶ月も掛かります。ましてやテントを張るのは、野宿からの脱却が見込めない時期にまできているということです。長期化した野宿生活の現われがテントなのです。行政から置き去りにされた期間があまりにも長すぎたためにテントが増えたのです。そして、それぞれが自分の生活スタイルをみいだして生きてきたのです。6年前にできた「自立支援センター」も、常用雇用(正社員)の仕事を探すため、日雇いや廃品回収は禁じられています。荷物もかばん2つぐらいしか持ち込めません。仕事が見つからなければ6ヵ月後には再び路上です。