談話室の片隅で(温熱療法) シンタニ
「来月待ってるよ」・・・厳しい寒さ、耐えがたく寝苦しい暑さ、雨の目・・・、わずかな安息を求める利用者でごったがえす談話室。その片隅を占拠することに心苦しさを感じながら、テルミー(温熱療法)をさせていただいて五年の月目が重なりました。当初は「熟いらしい」、「裸になるのはどうも」と敬遠していた人も、少しずつ「待ってるよ」グループに入ってくれるようになり、その中にDサンがおりました。
四年ほど毎月、Dサンを診てきました。仕事に恵まれていた時期は身体にもハリがあり、気カに溢れ、「治療は必要ない位ね」と話していたものです。でもこの一年聞、ハリがみるみるうちに失われ、明らかにやせていっていました。仕事にアブれている様子が手に取るように感じられました。生活場所も、簡易宿泊所からシェルター、野宿だったと思われます。
『これ』と言って差し出してくれるコーヒーやお茶、バナナなど。『Dサンが食べなきゃ」と言いながら、シャイで無口なDサンの精一杯の優しさ、と受け止めありがたく思っておりました。
3月31日、1ヶ月ぶりの談話室。そのカウンターに置かれていたDサンの写真を訝しくながめました。「3月27日死去、61歳」、こう書かれておりました。何のことか全く理解できませんでした。3月26目61歳の誕生目を迎えた朝、シェルターで倒れ、病院で頭部の手術を受けたそうです。血圧が異常にに高かったのが原因だとも・・
何かアドバイスが出来なかったのか。語を聴いてあげられたかも知れない。と後悔の念が先立ちました。しかし、Dサンとの交流をゆっくりふりかえりながら、これで良かったのだと納得することにしました。いつも治療台に横たわり、静かに目を閉じ、まるで幼子のように無防備でいてくれたこと。そんな『時』をテルミーの熱とともに提供できたこと。私が「ふるさとの家」に通える限り、「来月待ってるよ」と勇気づけてくれるDサンの声が聞こえてきそうです。
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