「ふるさとだより」2002年11月

直線上に配置

「ふるさとの家から」 Fr.ハインリッヒ
「談話室1」
「談話室2」
「2階・ともの広場」 堤 年弘
「1年間ボランティア」 小澤 尚史
「缶のつながり」 豊島治
「相談室」 マエダ
「ケアステーションふるさと」 浜口 功雄
「ケアステーションふるさと」 堀部 敬子
「反失連は野営闘争中」 本田 哲郎
「事務室より」
「ふるさとの家で必要なもの」

2階・ともの広場     堤 年弘

 この所、異常気象のせいか一足飛ぴに冬が到来、「ぶるさと」に集う人びとも冬支度を何とか整えようと、おおわらわです。現在風邪をひいている人が多く、一回分の家庭薬ぐらいは差し上げていますが、何処が悪い此処が悪いとなれば、病院での診察を勧めます。しかし市更相で証明をもらい、やっと通院ということになるのですが、医療センターは満員、医者の応対も悪く、入院するようになっても行く先は桁落ち病院、人間として扱われない野宿者は居づらくて治療を途中で止めてしまうのです。
 この町には結核患者が多く、Gさんもその一人。10月になって療養所を退院したのか見かけるようになったのですが、入院前と変わらない位痩せており、聞いてみるとやっぱり具合が悪いとのこと、また病院に行かねばと言いながらもGさんは野宿生活を続けています。
 30代後半のYさんは、公共施設の敷地内にブルーシートのテントを張って5年近く住んでいます。施設管理の人とも親しく、常に清潔を保っているのですが、最近同じ敷地に住むようになった人が周りを汚すようなことがあったりして、近所の人が市に苦情の申し立てをしました。事前に市の職員がやって来ることを知ったYさんたちは、立ち退かされるのかと思った様でしたが、自立支援センターヘの入所を勧められる位で済みました。彼は一定の職があることを説明して入所は断りました。
 Yさんは中日と月末の月2回、2週間興行の六カ所ぐらいの芝居小屋から、全引っ越し手伝い人の手配を任されているのです。一カ所五人程派遣し、自分もその一人として運び出しと運ぴ入れの二回分、各6000円、月にすれぱ最低24000円の収入があります。これにアルミ缶を収集して得た代金を加えて、やっと五万円、せめてこの倍あればと、温厚で誠実なYさんは言っています。これでは何時も不安定なテント生活を抜け出すことはできません。
 今年の8月7日、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法が公布施行されました。第1条などで野宿者の人権尊重を前提にして、安定した雇用の場や住宅の確保などの自立支援策を実施する義務を国や地方公共団体に課しています。
 これは10年の時限立法ですから、野宿者は一日も早い実施を望んでいるのですが、財政面を考えてのことか行攻の側は積極的に動いていません。
 2000年の統計によれば、大阪市内の野宿生活者の路上死が213名、そのうち餓死者が18名、凍死者が19名となっています。(府監察医事務所の死体検察記録)2002年の統計が、これ以下ではないことは容易に想像されます。
 この季節、この町に温かい手の差しのべられることが待ち望まれています。